令和4年7月 悲願達成!!

更新日:2022年07月01日

ページID 11898
市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

すでに新聞等で報道されご存じかと思いますが、このほど郡山城跡が国史跡に指定されることになりました。市内では昭和4年の「額田部窯跡」昭和9年の「慈光院庭園」に続いて、実に88年ぶりの新指定ということになります。

郡山城跡の価値や魅力が国民の共有財産として認められたことは、さまざまな形で保存に取り組んでこられた市民や、柳沢文庫保存会をはじめとする関係者の皆様、長年にわたり城跡の研究にご尽力いただいた先生方のおかげであり、あらためて心から深く感謝申し上げます。

国史跡指定をめざす取り組みは、平成25年度から28年度の天守台石垣の解体修理より始まりました。その後、極楽橋・白沢門の調査、土地の境界を確定するための地籍調査を経て、令和元年度から3年度の郡山城跡総合調査により、郡山城跡が織田・豊臣時代から近世を通じて、畿内の重要な拠点として機能していた貴重な城郭遺跡であることが明らかとなりました。そこで、令和4年1月20日付けで国に意見具申の手続きを行い、その結果を心待ちにしていたところだったのです。

国に対する意見具申の核となったのは調査の結果をまとめた『郡山城跡の研究1.』天守台展望施設整備事業に伴う調査報告と、『郡山城跡の研究2.』郡山城跡総合調査報告で、2冊あわせて800頁にも及ぶ立派な報告書(市民の方々にも販売させていただきます。)ですが、正直、国史跡指定の手続きがいかに大変か初めて知った次第です。

折しも2 年後の令和6年には柳澤吉里侯の郡山入城と金魚伝来300年、市制施行70年という節目を迎えることからも、今回の指定は非常に意義深く、歴史公園の整備とあわせて「郡山城のすごさ」を内外に広く発信する機会にしていきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。