令和4年4月 昭和のくらし博物館

更新日:2022年04月01日

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市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

令和3年度第10回水木十五堂賞を受賞された東京在住の小泉和子さんのコメントです(要約)。
『もっとも残りにくいのが庶民のくらしです。そこで昭和26年に住宅金融公庫の融資を受けて建て、くらしてきたわが家が無人になったので、家財ごと一切を残しておこうと考え平成11年に「昭和のくらし博物館」と名付けて公開することにしたのです。高度経済成長前の昭和のくらしがそっくり活きた形で残っています。こういう仕事に目をとめて下さってありがとうございます。』

終戦直後、住宅の不足数は420~430万戸に及んだそうですが、住宅金融公庫の設立など長期的な住宅政策が始まるのは昭和25年のことでした。

融資を受けるためには、規模や工事費など厳しい条件がありましたが、建築技師で東京都に勤めていたご主人が自ら設計された2階建て18坪の家には、玄関や斬新な書斎兼応接室、ちゃぶ台のある茶の間、階段裏の物置、さらには下宿人部屋まであり「いかに経済的に、丈夫で、無駄のない家をつくるか」知恵を絞ったのだそうです。

床の間の廃止という苦渋の決断の一方で、縁側のある設計図からは昭和の温かい近所づきあいの雰囲気が伝わってきます。

そのほか足踏みミシン、たらいと洗濯板、蚊帳、お産の道具、家庭看護の品々、湯たんぽ、氷冷蔵庫、ジュラルミンのパン焼き器など数え切れない家財も展示されていますが、現代人の生活を振り返るいい機会にもなるのではないでしょうか。

「大和の水木か 水木の大和か」と称された水木要太郎氏を顕彰し、現代の語り部にふさわしい、博識と見識でもって社会の発展に貢献した人物を表彰する「水木十五堂賞」。

神崎宣武選考委員会副委員長のご縁でこの春、岡山県総(そう)社(じや)市(し)で毎年開かれている「総社観光大学」にお招きをいただき、水木十五堂賞について紹介することになりました。

新たなつながりに期待しているところです。