若槻環濠及び集落

更新日:2021年03月19日

ページID 1861

若槻環濠及び集落(わかつきかんごうおよびしゅうらく)

畑のあいだを通る若槻環濠及びその先に見える集落の写真

徳治2年(1307)の大乗院領若槻庄土帳によればまだ環濠は存在せずに散村の状態であったことがわかります。しかし、文正元年(1466)の文正土帳には東端の庄屋屋敷と西端の宮地を中心に屋敷が集合し、堀が作られたようすが記載されています。その後、文禄4年(1595)の検地帳によれば、その二つの堀をつないで東西に細長い環濠が形成されていることがわかります。環濠は東西200メートル、南北70メートルの長方形をなしています。

畑の端を通っている若槻環濠の写真

環濠の形成される過程が史料で裏づけされる貴重なものです。現在、西の天満宮の周囲の堀がもっとも幅広く、よく残されています。

見学は自由です。

この記事に関するお問い合わせ先

まちづくり戦略課 文化財保存活用係

郵便番号:639-1198
大和郡山市北郡山町248-4
電話:0743-53-1151(内線733)
ファックス:0743-53-1049

メールフォームによるお問い合わせ