市彫16 木造阿弥陀如来坐像(報土寺)
本像は、矢田町通に位置する報土寺に伝来する本尊・阿弥陀三尊の中尊です。いわゆる来迎印を結び、蓮華座に坐る金色の阿弥陀如来像です。
正面の姿は均整がとれ、膝張りが広い両脚部は肉取りも豊かで充実し、全体に安定感があります。衣には紐状の皺が数多く刻まれ、複雑かつ流動的な動きを示しています。このような表現は鎌倉彫刻の特徴であり、特に衣褶の優れた彫法は、奈良・東大寺指図堂の釈迦如来像(善円作、嘉禄元年/1225年)の造形感覚に通じるところがあります。
現状、上半身が前傾する体勢ですが、像底の補修箇所からみれば、当初の形姿は上体を後方に反らす姿勢であったことが分かります。このような表現は同時代では初期の慶派仏師の仏像からみられるところであり、本像の当初の姿がそのような表現の傾向を反映しているのは重要です。
また頭髪および面部の一部が補修されるものの、下方に波形にうねる髪際線、整った目鼻立ちの構成、および頬が膨らみ、かつ引き締まった肉取りを示す顔かたちは、当初の造形のままであり、奈良・元興寺十一面観音像などの善派仏師系の仏像の顔つきに似ている点が特記されます。このような特色は前述した衣褶の彫法と併せて、鎌倉時代前・中期の奈良仏師の一派、すなわち善派仏師系の作風との関連で考えるべきものであり、製作は13世紀前半を下らぬ頃と推定されます。
以上、本像は小彫刻とはいえ、市内・郡山城下の寺院に伝わる鎌倉彫刻の優品の一つであり、また学術的な視点からも、南都(奈良)の中世彫刻史上、注目すべき仏像です。
慶派仏師
運慶や快慶に代表される平安時代末期から鎌倉時代に活躍した仏師集団。
善派仏師
鎌倉時代のなかでも13世紀に南都(奈良)で活躍した仏師であり、運慶や快慶の活躍以後の世代に当たります。善派の名前は、善円、善慶および善春など、善の字を冠する仏師名が由来となっています。前半は南都の高僧による造仏活動、後半は叡尊らの西大寺鎌倉復興の造仏に携わりました。鎌倉初期の慶派仏師の壮大で緊迫した彫刻様式とは異なり、穏健で、まとまりのよい作風に特徴があります。
 

この記事に関するお問い合わせ先
まちづくり戦略課 文化財保存活用係
郵便番号:639-1198
大和郡山市北郡山町248-4
電話:0743-53-1151(内線733)
ファックス:0743-53-1049
メールフォームによるお問い合わせ

          
          
          
          
          
          
          
      
更新日:2025年10月21日