水木十五堂賞

更新日:2022年11月29日

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水木要太郎(十五堂)のモノクロ写真

新着情報・お知らせ

第11回水木十五堂賞 授賞式が令和5年2月26日に開催されます。(令和4年11月29日掲載)

水木要太郎(十五堂)とは

水木 要太郎 (十五堂)

水木要太郎(十五堂)が長い棒を持ってが立っているモノクロ写真

みずき ようたろう (じゅうごどう)
1865~1938

(十五堂=雅号(がごう))

幕末の元治2(1865)年1月15日、現愛媛県伊予市の生まれ。
松山中学校、東京高等師範学校に学んだ後、明治23(1890)年3月、奈良県尋常師範学校教員心得として奈良県に転住して以来、40数年にわたり大和郡山(豆腐町)に居を構え、奈良県尋常中学校(郡山中学校、現郡山高校)教諭、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)教授、奈良帝室博物館学芸委員を歴任。

大和の歴史や地誌の研究を進める一方、漢詩、和歌、俳句、書画、狂歌から茶道、演劇等を通じ、多くの文人や芸術家と交流し、幅広い分野であらゆる収集を行い、その数7,000点あまり、『水木コレクション』として、今日に受け継がれている。

中近世の古文書、近世の刊本、近世から近代の絵地図、文化人の書状など多岐にわたる膨大な資料群であり、学術的に貴重な資料も多く含まれている。

特に異彩を放つのが、『水木の大福帳』と呼ばれる半紙四分の一大の帳面であり、300冊以上にものぼる大福帳には、多くの学者や文人、芸術家などあらゆる階層の人たちが署名やコメント、似顔絵などを残している。まさに時代の息吹が直接伝わる貴重な資料である。

これら大和の歴史や文化に関する「博識」から、いつしか「大和の水木か、水木の大和か」と呼ばれ、大和を代表する研究者、文人としての地位を確立し、昭和13(1938)年6月1日 享年74歳で逝去。

(右上写真) 水木要太郎(十五堂)70歳の写真
(『収集家100年の軌跡-水木コレクションのすべて-』 国立歴史民俗博物館展示図録 より)

「水木十五堂賞」の創設

残念ながら、本市に縁のある偉大な先人である水木要太郎(十五堂)のことを知る人は極めて少なくなっています。
折しも、東日本大震災(2011年)では、過去の災害から語り継がれてきたことや、言い伝えられてきたことが多くの命を救ったところであり、知恵や経験、歴史や文化を語り継ぐことの大切さが今、あらためて問われています。

そこで、古事記1300年紀(2012年)を契機として、『語り部の里』 大和郡山から語り継ぐことの大切さを発信する取り組みのひとつとして、偉大な先人のことを知り、偉大な先人に学ぶことで、ふるさとに対する夢や誇りを再認識し、心豊かなまちづくりに資するためにも、「水木十五堂賞」を創設するものです。

選考対象者

水木十五堂の功績にちなみ、歴史、伝統文化、自然など様々な分野において、幅広い資料の蒐集(しゅうしゅう)、あるいは博物学研究などを行うとともに、現代の『語り部』あるいは『生き字引』にふさわしい博識をもって社会の発展に貢献した人物を表彰する。

受賞者贈呈品

賞状・記念品・副賞

水木十五堂賞選考委員会

  • 委員長 千田 稔 (奈良県立図書情報館長)
  • 副委員長 神崎 宣武 (民俗学者)
  • 委員 岡本 彰夫 (奈良県立大学客員教授)
  • 委員 西谷 大 (国立歴史民俗博物館長)
  • 委員 瀧浪 貞子 (京都女子大学名誉教授)
  • 委員 武田 佐知子 (大阪大学名誉教授)
  • 委員 松本 紘 ((公財)国際高等研究所所長)
  • 委員 柳澤 保徳 ((公財)郡山城史跡・柳沢文庫保存会副理事長)
  • 委員 吉田 栄治郎 ((公財)郡山城史跡・柳沢文庫保存会研究員)
  • 委員 上田 清 (大和郡山市長)

(令和4年4月1日現在・敬称略)

この記事に関するお問い合わせ先

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大和郡山市北郡山町248-4
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