令和8年11月 和を以て、大和をなす


大和郡山市長
初代城主筒井順慶によってどこまで整備されていたかよくわからないそうですが、大和・紀伊・和泉百万石の「大大名」となった大和大納言秀長により急ピッチで進められる郡山城の建設。そして、さかさ地蔵?に手を合わせる秀長さん。
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が大和郡山編を迎え、市内のあちこちで話題になっています。寺社との対立や検地の実施、職種別に商人を集めようという、箱本十三町につながるアイデアに続いて、城下町の商売を元気にしようと選ばれたのが「筆」でした。
もっとも、実際はどうだったのでしょうか。以前、城下町にあった筆作りの工房も、今は姿を消していますので、少し残念ではありますが。
とはいえ、全体としてはとてもいい雰囲気で、本市のイメージアップにつながったのではないかと、受けとめているところです。
極めつけは秀長さんが最後に示した書で、そこには「和」という字が堂々と書かれていました。
「和を以て、大和をなす」。
それこそ「秀長が残した輪は今もここにある」の「輪」と相通じる部分もあるかと思いますが、「和」には大和大納言としての秀長さんのすべてが詰まっているのではないでしょうか。
まさに「和の国」の誕生です。
ところで、秀長さんが奈良市の五条山丘陵一帯で採れる良質の陶土「赤土」に目をつけ、尾張の陶工与九郎につくらせた「赤膚焼」は、表面に描かれた「奈良絵」とともに評判となり、秀長さんの家臣だった小堀正次の子息、小堀遠州によって広められ、現在に至っています。一方、戦国武将がよく着用したという藍染めの衣服は、深く染めあげた濃紺色が「褐色」と呼ばれ、「勝ち」に通じるということに加えて、藍には解毒や炎症を抑える効果があることも、武将たちが愛用した背景にあったといわれます。
まさに「サムライブルー」のルーツです。
紺屋町も賑わったことでしょう。
赤膚焼や藍染めなどについても取り上げていただければ嬉しいのですが。

更新日:2026年11月01日