令和8年8月 秀長さんと藤堂高虎


大和郡山市長
先日行われた歴史トークショーで、天理大学の天野忠幸教授が「秀長は二つの宝物、小堀正次と藤堂高虎を後世に残した」と発言されました。
近江国出身の小堀正次は秀長とは同い歳で長浜城から郡山城に移り、秀長の治政を支えますが、父に従って移り住んだ少年が後の小堀遠州です。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後は江戸幕府のもとで活躍しました。
同じく近江国出身で、秀長の16歳年下の藤堂高虎は、幼い頃から人並み外れた体格と体力で、しかも手をつけられない暴れん坊。
兄が戦死したため13歳で家を継ぎ、初め浅井長政に仕えますが長続きせず、転々としたのち20歳の頃に出会ったのが秀長でした。身長が190センチメートル近くもあり、武力がすべてと思い込んでいた高虎は、秀長から文化や経済、人と人とのつながりや結束の大切さを教えられ、人生が一変、秀長に心酔するとともに、生涯にわたって全国の城づくりに参画し、黒田官兵衛や加藤清正とともに「築城三名人」と称されたのです。
秀長が52歳の若さで亡くなったあとは養子の秀保、秀保の死後は秀吉に仕えますが、関ヶ原の戦いでは小堀正次と同じく東軍に属し、もともと親交のあった徳川家康に接近、江戸幕府では外様の立場でありながらそれこそ家康の懐(ふところ)刀(がたな)として活躍、家康が亡くなる際には枕元に侍(はべ)ることを許されるほどの信頼を得ていました。
高虎はその後秀忠、家光にも重用され、草創期の江戸幕府を支えていきますが、考えてみれば、秀長さんとの出会いがなければ高虎の人生は別のものになっていたでしょうし、秀長さんは高虎や小堀正次を通じて江戸幕府を創ったという見方もできるのではないでしょうか。
家康と良好な関係にあったとされる秀長と二人の家臣。そのつながりは秀長が残した大きな「輪」だったのかもしれません。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』も後半に入りました。佳久創さんが演じる藤堂高虎にも是非、注目いただければと思います。

更新日:2026年08月01日