令和6年12月 さまざまなご縁に感謝!!

更新日:2024年12月01日

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市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

市制施行70周年と柳澤吉里候の郡山城入部・金魚伝来300年を同時に迎えた今年も残り少なくなりましたが、その記念すべき年の3月に飛び込んできたのがNHK大河ドラマのニュースでした。

~春一番 大河の主役に 秀長さん~

本市のシンボル郡山城の初代城主は筒井順慶で秀長の時代に大規模な整備が行われ、秀長没後は増田(ました)長盛(ながもり)によって、城下町全体を取り巻く外堀が完成したとされています。
その後、徳川政権下では最初に家康の従兄弟にあたる水野勝成が入ることにより、京都や大坂に近い立地条件が高く評価されるとともに、以後は松平氏や本多氏があいついで入城。そして江戸も後半に入った1724(享保9)年、甲府藩主柳澤吉里が国替えにより郡山城に入り、以後柳澤家の歴代藩主が幕末に至るまでこの地を治め、経済的にも文化的にも、城下町郡山は大いに栄えました。

一方、秀吉が最初に与えられたのが長浜城であったことから、さまざまなご縁が生まれています。

たとえば茶人、建築・造園家として一時代を築いた小堀遠州は少年期に父親の「転勤」に伴って長浜から移りましたが、郡山城での秀長や千利休との出会いが、その後の運命を決定づけました。

また、柳澤氏が治めた郡山藩領は幕末の史料によれば全体で15万1千石余、そのうち大和国は7万8千石余、河内国は1千石余、伊勢国は1万3千石余に対して、近江国は現長浜市や近江八幡市、東近江市などあわせて5万8千石余もあり、総石高の4割近くを占めていたのは驚きですが、秀長のご縁が関係しているのではないでしょうか。

先日、交流を深めている長浜市で、市内の郡山藩領を具体的な地名をあげて紹介すると、皆様、大変感動されていました。

歴史的なご縁やつながりを大切にするとともに、何よりも子どもたちがふるさとに対して夢や誇り、自信を持つことのできるまちでありたいと願っているところです。