令和6年2月 170 年前のできごと

更新日:2024年02月01日

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市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

年末から年始にかけて、能登半島地震をはじめさまざまな災害や事故に見舞われた日本列島。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、極寒のなか長引く避難生活を余儀なくされているみなさまに心からお見舞いを申し上げます。
地震が発生した1月1日、奈良県広域消防組合の24隊91名を中心に、奈良市と生駒市をあわせて編成された33隊123名の奈良県大隊がその日のうちに輪島市に向けて出発、第4陣派遣隊に至るまで救援活動を行い、10日に帰県しました。
広域消防には郡山消防署の署員も含まれていましたが、厳しい環境のもと寝食を忘れて活動した隊員に深く感謝します。
市としては「令和6年能登半島地震災害義援金」の窓口を市役所や支所をはじめ市の各施設で開設する一方、必要な物資や食糧の搬送、さらに1月18日からは奈良県の応援先とされた石川県穴水町に2名の職員を派遣し建物被害認定調査にあたるなど、息の長い応援を続けたいと考えています。
ところで地震が発生した1月1日は大和郡山市の満70歳の誕生日でもありました。
お祝い気分は吹き飛んでしまいましたが、ふと年表をみるとその100年前、つまり今から170年前、全国に甚大な被害をもたらした安政の大地震(1854)が起きていることに気づきました。
城下町郡山も決して例外ではなく、奈良・郡山で「死人凡弐三百人計り」(西矢田宮座文書)に及び、この年の6月14日から11月5日にかけて「一日もゆらぬ日なし」(同文書)だったとか。
この安政の大地震は、近い将来に発生する確率が非常に高いとされている南海トラフ巨大地震のひとつで、あらためて災害に対する心構えを家族や地域、学校や職場などいろいろな場面で考え、行動に移す、そうした意味で防災、さらには減災について考える1年にしたいと思います。
今年は柳沢氏の郡山城入部、金魚伝来300年の節目ですが、いくつもの災害を乗り越えた300年というとらえ方もできるのではないでしょうか。