令和5年3月 101年目の再出発

更新日:2023年03月01日

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市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

令和5年2月3日、奈良県と大和郡山市、近畿日本鉄道は『近鉄郡山駅移設に関する基本協定』(三者協定)を締結しました。

これにより、平成26年の包括協定に基づき、県との間で構想を進めてきた、駅移設を柱とする近鉄郡山駅周辺の整備事業が実現に向けて大きな一歩を踏み出すことになりました。

三者協定では、駅の移設については近鉄が施工し、およそ40億円を見込む費用は三者で均等に負担するとともに、駅前広場などの駅周辺施設の整備は市が行い、その費用負担(約70億円)については県と市の間で別途協定を締結するとされています。

基本計画は図のとおりですが、令和12年度の新駅舎供用開始を目標に、民間との連携も含め、城下町の風情を活かし、市民が誇りに思えるまちづくりに全力で取り組んでまいります。

ところで、近鉄郡山駅の歴史をたどってみると大正10(1921)年4月1日大阪電気鉄道株式会社(大軌という通称で親しまれていました。現近鉄)により、西大寺・郡山駅間が開通、営業開始したことがその始まりでした。

当時は郡山城跡の東側に設置された仮設のような駅でしたが、翌大正11年4月郡山・平端間が開通し天理軽便(けいべん)鉄道(注釈)とつながるなかで、現在の場所に移転、本格的な郡山駅が誕生したのです。

それから今年で101年。

ちょうど1世紀を越えての再出発ということで、不思議な巡り合わせを感じているところです。

整備事業は長期にわたりますがご理解とご協力をお願い申し上げます。

(注釈)軽便鉄道は小型の機関車や車両を用いる鉄道で、天理軽便鉄道は新法隆寺・平端・天理間 で営業。この時すでに大軌に事業譲渡されていました。何年か前、レールの一部が郡山駅 で見つかり、昭和公民館に寄贈されました。

 

まちづくり基本計画抜粋図