令和3年12月 市役所旧庁舎と山田守
大和郡山市長
令和2年、『分離派建築会100年~建築は芸術か~』が東京に次いで京都で開催されました。
東京帝国大学の建築学科で学んだ若者を中心に大正9(1920)年に生まれた分離派建築会の活動は、形式を重んじる明治期の建築に対し、自由な発想を求めようとするものでした。
結成に参画した山田守(1894~1966)は岐阜県の生まれで、大学卒業後、逓信省に入省し、東京中央電信局など数多くの建築に関わるとともに、関東大震災後は永代橋の設計にも携わりました。
戦後は山田守建築事務所を開設。
今も日本を代表する建造物日本武道館や、京都のシンボル京都タワーは山田守の作品として有名ですが、それ以前の作品として、昭和36(1961)年5月に完成した大和郡山市の現庁舎は山田守の設計によるものでした。
市庁舎としては全国で唯一の作品ですが「マッシュルームコラム」(キノコ状の円柱)という形の車寄せに象徴される斬新なデザインは、当時の人々をきっと驚かせたことでしょう。
それから60年。来春、その役割を終える現庁舎の壁面を利用して(仮)「60年分のありがとう」プロジェクションマッピングを行う予定です。
この度、株式会社山田守建築事務所から当時の写真を提供いただきましたので一部掲載します。
百寿橋からの前景
マッシュルームコラム
市議会議場
2階ホール
更新日:2021年12月01日