令和2年11月 正しく知り、正しく怖れよ

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町タイトル
上田清

大和郡山市長

今からおよそ820年前、鎌倉時代の初めに添上郡箕田里(現市内白土町)で生まれた叡尊(興正菩薩)は戒律(修行者の生活規律)の復興や衰退していた南都西大寺の再興に生涯をかける一方、弟子の忍性とともにハンセン病患者の救済に力を注いだことでも広く知られています。
忍性が般若寺の近く(その後現在地奈良市川上町に移築)に開いた北山十(じゆう)八(はち)間戸(けんこ(と))はハンセン病などの重病者を保護・救済する施設で、長さ約38メートル、幅約4メートルの棟割長屋は国の史跡に指定されています。
人類の歴史上、最も古くから知られていた病気の一つ「らい病」は、1873年にらい菌を発見した 医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりましたが、感染力は非常に弱く、今は治療法が確立され、完治する病気です。
しかし諸外国の影響もあり、患者を療養所などに収容し、一般社会から隔離する政策がとられたため、この病気は感染力が強いという誤った見方が広まり、偏見や差別につながったと考えられています。
戦後になっても状況は変わらず、1953(昭和28)年に成立した「らい予防法」成立後、結婚や就職など患者だけでなく家族に対する偏見や差別は一向になくなることはありませんでした。
その法律が廃止されたのは1996(平成8)年、何と、つい最近のことなのです。
先日、大和郡山市日赤奉仕団の方々がわざわざお越しいただき、入所者の高齢化が進む国立療養所長島愛生園及び国立療養所邑(お)久(く)光明園との交流のなかで、日赤奉仕団顧問鈴木やよひさん発案の「大和郡山市かるた」を贈り、少しでも心の和み励みにと願っているということでした。
病気による差別、決してあってはならないことです。コロナ禍の今、正しく知り、正しく怖れることの意味を今一度考えてみたいと思います。