平成28年5月「大和郡山に少女歌劇があった」~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 今年で13回目を迎えた「大和郡山盆梅展」は開幕から好調で、最終的には15,000人近い方々が来場いただき、大盛況のうちに終了しました。
 一方「大和な雛まつり」も「応援隊」の熱意により規模も当初の倍近くになるとともに、各会場でのミニコンサートも大賑わいでした。
 そうしたなか柳町の菊寿亭では『日本少女歌劇座展~大和郡山に少女歌劇があった~』が開催されたのですが、ほとんど忘れ去られようとしていた郡山の貴重な歴史に驚き、感動しました。
 というのも、1914(大正3)年、宝塚少女歌劇団の誕生をきっかけに全国各地で少女歌劇団が結成され、ここ大和郡山にもあったというのです。
 その名も『日本少女歌劇座』。展覧会のチラシには「昭和初めの大和郡山に花開いたモダンな少女文化に思いをはせていただきたい。」
 『日本少女歌劇座』は「島興業社」が運営し、拠点の劇場は持たず全国を巡回する経営戦略で人気を博し、戦前は台湾など海外公演も行っていましたが、昭和30年代には、姿を消したようです。
 展覧会では、1928(昭和3)年に行われた巡業公演が、日本地図とともに紹介されていました。
 それによれば一座は正月早々、長崎を皮切りに、九州から四国、中国、近畿、東海、関東、東北、そして北海道を一周した後、9月からは逆に東北、関東を経て北陸へ。そして最後は年末の姫路公演と丸一年、ほとんど休みなしで全国を回ったというのです。総勢約70名の一行は鉄道を利用して移動。テレビなどない時代、華やかな舞台に人々は魅了されたことでしょう。
 少女歌劇座について何かご存知の方、あるいは当時の資料をお持ちの方はご一報ください。