平成28年6月 できることから始めませんか?~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 先月号の原稿締め切りは4月15日。その日をはさんで発生した熊本地震からもうすぐ2か月。
 犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災地の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 今回の地震で、まず注目されたのは、わずか5日の間に九州、四国、関西の「中央構造線」(日本列島の中央を東西に走る大断層線。西日本では紀伊半島から四国、九州に及ぶ)沿いに発生した慶長大地震(1596年)で、豊臣秀長は5年前に亡くなっていますが、末期の豊臣政権に大きな打撃を与え、大和でも寺社に甚大な被害がありました。
これをふまえ、5月中旬になっても余震が続く熊本地震の今後に注目すべきでしょう。
 一方、わが国では大昔から何度も、何度も巨大な地震に見舞われてきました。なかでも、90年から150年おきに発生してきた南海地震は、昭和21(1946)年以来約70年、沈黙を守り続けているのです。何とも無気味ではありませんか。
 ただ、奈良県では明治以降、濃尾地震(マグニチュード8.0、明治24年)をはじめ繰り返し発生した大地震による被害はいずれも軽微なものでした。そのため、地震の恐ろしさは次第に忘れられてしまったのかも知れません。
 しかし『西矢田宮座年代記』(柳沢文庫古文書クラブ編集)には150年あまり前に起こった安政の大地震(1854年)について、6月14日に大地震がゆり出し、郡山や奈良では家が崩れ、2~300人の犠牲者が出たことと、11月4日にも大地震がゆり出したという記事の後、6月から11月まで「一日もゆらぬ日なし」とあるのです。半年続いた余震。犠牲者の多くは建物の倒壊によるものでした。
 決して人ごとではない。家具の固定や非常持ち出しの準備など、できることから始めませんか?
 市役所でも、被災地を支援し、被災地に学びながら、さまざまな対策を講じたいとあらためて決意をしているところです。