平成27年11月 忘れられた江戸時代の偉人~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 先日ある知人から電話があり、2年後の2017年は大和郡山市ともご縁が深い明誉古礀(めいよこかん)というお坊さんの没後300年にあたる、忘れられた江戸時代の偉人として広く発信したいので応援をしてほしいとのことでした。
 初めて聞く名前でしたので、早速調べてみると、江戸時代の中ごろ活躍した僧侶で画家として多数の作品を残していることがわかりました。
 郡山藩出身という説もあるそうですが、1700年代前半には「西岸寺」などに住まいし宝永2(1705)年、京都報恩寺の第15代住職となりました。
 実はこの「西岸寺」というのは寛永16(1639)年、姫路から郡山に移った本多政勝の菩提寺浄真寺が野垣内に移された寺で、のち九条山で復興され「西岸寺」と改称されたとか。
 狩野派の流れをくみ、雪舟の影響を受けた和尚の遺作で特に有名なのが、京都の泉涌寺に残る縦16メートル、横8メートルに及ぶ日本一大きな『涅槃図』です。
 この涅槃図というのは、釈迦が亡くなった時のようすを描いた絵画で、お釈迦さまを幾重にも囲む人々が極彩色でみごとに表現されています。
 泉涌寺の大涅槃図は、毎年3月14日~16日に一般公開されるとのこと。
 一方、奈良の東大寺には和尚による絵巻物『大仏殿虹梁木曳図』(虹梁は社寺建築に使われる化粧梁のこと)があります。これは焼失した大仏殿復興のためその梁に使う直径1~1.4メートル、長さ23.5メートル、重さ20トンのアカマツを九州から約9ヵ月かけて運んだようすを描いたもので、巨木と格闘する民衆の生き生きとした姿から和尚の温かいまなざしが感じられます。
 明誉古礀和尚の没後300年。楽しみです。