平成26年2月「還暦」のお祝い~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 室町時代の後半から江戸の初期、興福寺多聞院(たもんいん)の僧侶が代々残した記録『多聞院日記』。
 天正11(1583)年4月22日の条に「筒井(順慶、1580年郡山城に入城)ニハ今日ヨリ天守俄(にわか)に被上(あげらる)」とあるそうです。「俄に」という言葉から想像すると、よほど急ごしらえの天守閣が現れ、みんなびっくりしたというところでしょうか。
 だからというわけではないのですが、市制施行60周年の記念式典が、平成26年4月22日(火曜日)に開催されることになりました。
 しかもこの日は「大納言まつり」の日。大納言秀長の命日は1月22日。しかしいつのころからか4月22日に変更して行われているそうです。
 ところで、今年の大河ドラマでクローズアップされている黒田官兵衛ですが、実は秀長や順慶とほぼ同じ時代を生きた人物で、秀吉が柴田勝家らを破った賤ヶ岳(しずがたけ)(滋賀県北部)の戦い(1583年4月)では、43歳の出石(いずし)城主秀長や34歳の郡山城主順慶が活躍し、37歳の官兵衛も参戦していたといわれています。
 すでに秀吉から大和国を任されていた順慶により、賤ヶ岳の戦い直後に「天守」が上がったことにはどのような意味があったのでしょうか。
 もっとも順慶は翌年、亡くなってしまいます。
 その天守台。昨年末から石垣の修復も始まりました。何か深いご縁を感じています。
一方、江戸時代の後半、柳澤吉里が郡山城に入って今年で290年。その父柳澤吉保が亡くなって今年でちょうど300年。
 これで主立った役者がそろいました。
 もちろん、代々城下町を支えた人々がいたからこそ。城下町の「底力」!60周年を祝うキーワードのひとつにしたいと考えているところです。