平成25年4月 『菜の花の中に城あり郡山』~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

ページID 10043
市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

『菜の花の 中に城あり 郡山』
 江戸時代のお城と城下町のようすが目の前に浮かんでくるようなこの句は、芭蕉の弟子森川許六(きょりく)の作で、郡山城跡の市民会館前に句碑があり、市民の方々や観光客に親しまれてきました。
 その句碑の前に立ち、左側に視線を移すと木々の間に天守台の石垣が見え隠れしています。
 筒井順慶の居城として始まり、豊臣政権の時代には100万石の城主大納言秀長を迎えた郡山城は、何代かの城主を経て、江戸時代の後半、甲府から移った柳澤家のもとで明治維新を迎えた後、門や櫓などは売却されたと伝えられていますが、お城の中心である天守閣がその上に実際にあったかどうかは別として、有名な「さかさ地蔵」のように、ありとあらゆる石を集めて積み上げた天守台は、明治以降も郡山のシンボルであり、市民の誇りであり続けました。
 昨年、この天守台付近の見晴らしが県の「まほろば眺望スポット100選」に選ばれました。
すでに「日本さくら100選」に選ばれている城跡一帯の桜とともに、うれしいニュースです。
 そうしたなか、天守台については、側面の石積みが膨らむなど、安全面で不安がありましたが、この度、予算の確保など条件が整い、今春から石垣の修復に取り組むことになりました。
少し時間がかかりますが、それこそ築城以来の本格的な工事。ご理解、ご協力をお願い致します。
 さて、今回で「てくてく城下町」もおかげさまで100回目を迎えました。いつも本当にありがとうございます。そこで100をいくつか並べた次第。今後ともよろしくお願い申し上げます。

天守台からの眺めた大和郡山市の写真