平成25年6月 心をつなぐ石碑~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 近鉄郡山駅の北東、西友大和郡山店から三の丸会館にかけての一帯には、かつて「日本一のマンモス校」ともいわれた郡山小学校がありました。
 多い時には2,500人近くの子どもたちが通っていたといいますから、今では想像もつきません。
 郡山町時代の人々にとって大きな誇りであった郡山小学校。戦後の昭和26(1951)年11月19日には、関西巡幸中の天皇陛下が視察に来られ、運動場で子どもたちを激励しておられます。
 しかし時代は流れ、大規模校の課題が浮き彫りになった昭和46年、この小学校とは別の場所に郡山北小学校と南小学校が新たに建設され、郡山小学校はおよそ100年にも及ぶ歴史に幕を下ろすことになったのです。

屋外に設置された郡山小学校跡石碑の写真

 ところが、先般、ある方から、三の丸会館前に置かれた郡山小学校跡地の石碑が植え込みに隠れて全く見えないというご指摘がありました。
 駆けつけてみると確かにそのとおりで、何とも寂しい気持ちになりました。

 そこで先日、石碑を移動し、高さを調節して見えやすくしたところ、口伝えに情報が伝わり、卒業生の話題になっているそうです。
 中には、石碑の前で出会った「見知らぬ」人と話をしているうちに、何と郡山小学校時代の同級生だということがわかったというケースも。

 卒業以来50年ぶりの再会を演出したのは、何も物を言わない、しかし、町の姿をいつまでも、いつまでも見守り続ける、小さな石碑でした。