平成25年11月 未来に向けて(3)~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 ふるさとの未来について考える時、これまでの歩みを振り返り、そこから学ぶべき何かを見つけることがとても大切なことだと考えています。
 そこで、奈良県について考えてみると、この地で日本という国が生まれた後、都が京都に移されてからは政治の中心からはずれましたが、優れた文化や伝統は脈々と受け継がれ、やがて明治維新を迎えます。町や村のしくみも大きく様変わりし、江戸時代の藩に代わって県が置かれた数年後、今の市町村合併のような形で、奈良県は当時新たに生まれていた堺県に合併され(明治9年)さらにそのまま大阪府に編入されました(明治14年)。
 ところが、議員の定数は大和の17に対して大阪側は55と大きな格差があり、災害の復旧や土木工事などにおける予算配分の不公平をなくさなければと、大和の人々が立ち上がったのです。
 想像を絶する苦労の末、奈良県の再設置が認められたのは、明治20年11月4日のことでした。
 独立後の奈良県では、明治25年大阪・奈良間に鉄道が開通する一方、郡山では第六十八国立銀行(現南都銀行)や郡山紡績の設立などが相次ぎ、城下町は交通や産業の要として栄えていきます。
 しかし、戦後も60数年。ふと見渡すと全国で空港・新幹線のどちらもないのが山梨、三重、奈良の三県。JR特急が走っていないのが唯一奈良県ということに。奈良県はもちろん、紀伊半島全体が表舞台から遠ざかることになっていました。
 そうした中、昭和50年代から盛んに議論されるようになったのが「リニア中央新幹線」だったのです。その中間駅が奈良県の北部と定められたことには大きな意味があると考えています。