平成24年9月 水木十五堂賞 ~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 平成20年6月の本欄で『大和の水木か、水木の大和か』と題し、明治20年代から約半世紀にわたって本市の豆腐町に居を構え、現郡山高校や奈良女子大学などで教壇に立つかたわら、大和の歴史や文化の研究に力を注ぎ、奈良の生き字引、あるいは語り部として、広く慕われた水木要太郎氏(十五堂は雅号)について紹介をしました。
 明治維新後の混乱が治まり、わが国のルーツに対する関心が高まる中、外国人を含めて大和を訪れる人々に、氏は大きな影響を与え続けたのです。
 そうした氏の功績を本市の誇りとし、後世にも受け継いでいくため、古事記1300年紀事業の一環として、歴史、伝統文化、自然などさまざまな分野で幅広い資料の収集を行うとともに、現代の「語り部」「生き字引」にふさわしい博識や見識で社会の発展に貢献した人物にスポットをあてる『水木十五堂賞』を創設することになりました。
 古事記1300年紀事業実行委員会で検討いただいたうえで、同委員会の顧問、千田稔県立図書情報館長を座長とする選考委員会による議論も始まっていますが、その結果が楽しみです。

 ところで、先月の本欄で取りあげた茂木重次郎の件。きっかけとなった兵庫県在住の方からメールをいただきました。それによると、その方のご先祖は郡山藩士で、明治維新後も豆腐町で暮らしていましたが、仕事の関係で明治29年、住まいを売却して大阪に出たとか。その家を購入したのが水木要太郎氏だったということで、何と言ったらいいのでしょうか、このご縁、このつながり!
 水木要太郎氏について、ご存知のことがあればお教えください。