平成24年10月 心をつなぐ絵手紙 ~市長てくてく城下町

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 明治中期から昭和初期にかけて大和郡山豆腐町に住まいし、郡山中学校(現郡山高校)などで教鞭をとる一方、「大和の生き字引」と言われるほどの奈良学研究者として、広く、多くの人たちに慕われた水木要太郎(十五堂)翁。
 明治32(1899)年、その郡山中学に入学したある少年は教頭の水木と運命的な出会いをし、卒業後も二人の心温まる子弟関係が続きます。その少年とは、安堵町に生まれ、陶芸家として大成し、昭和30(1955)年には人間国宝に選ばれる富本憲吉のことで、憲吉が水木にあてた多数の絵手紙を見ると、いきいきとした時代の息吹きが伝わってくるような気がします。
 そのうち、東京美術学校に進学した憲吉が水木の子どもたちにあてた絵手紙(明治38年6月25日)には「皆さむ(皆さん)は此の雨つゞきに如何(いかが)御暮(おくら)しなさいます。私は二十九日午後帰るつもりです。その時、先生と皆様とで絵はがきなどの御話し(おはな)する事を楽しみにして居ます。左様(さよう)なら。」と書かれていて(『富本憲吉の絵手紙』二幻社刊より)家族ぐるみの交流ぶりを伺わせるとともに、メールやインターネットにはない手書きの味わいは、今の時代にも大切にしたいと思うのです。
 水木十五堂賞の選考は、来年2月の表彰式をめざして順調に進んでいます。ご期待ください。