平成19年2月20日 『小さなダム』3

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 今からおよそ一四〇〇年も昔のこと、稗田の里を訪れた聖徳太子が、稗のご飯を用意してくれた村人に、どうしてこのような珍しい穀物を食べているのかと尋ねたところ、この里は水の便が悪いのでなかなか稲が実らないのですという答えが返ってきました。驚いた太子は里の東(現奈良市池田町)に大きな池(現広大寺池)を掘り、その水を農業用水に利用することによって稗田の里は豊かになったといいます。広大寺池の一番水は今も稗田に送られることになっているとのこと、歴史の重みを感じずにはいられません。

 先日、ある方が市役所にお越しになり、この伝説を引き合いに遠い未来を見据えた農業政策がわが国には欠けているのではないかと、嘆いておられました。確かに耳の痛い話です。水を有効に利用する利水、災害を防ぐために河川を保全・管理する治水、地域の方々にとってはいずれも最も大切な課題であることは間違いないでしょう。

 ところで、昨年開催された国土交通省主催の「大和川フォーラム」で、佐保川の改修には国が大いに力を入れていただいているが、一時水を少しでも減らすため本市で取り組んでいる雨水簡易貯留槽(小さなダム)の普及を含め、ため池や自然地形を利用した総合的な治水事業を進めてほしいと提言させていただいたことは、すでにこの欄で書いたとおりです。
 その時あわせて紹介した、郡山をはじめ奈良県内のゴミが大阪湾に流れ込み、大阪湾の海流に乗って淡路島の成ケ島に打ち寄せられているというエピソードがその後話題となり、この三月四日、国の呼びかけで流域の関係者が大阪から船に乗って成ケ島を訪れ、交流するということになりました。

 奈良県の河川はすべて大和川となって大阪湾に流れ込みます。
 利水、治水の両面から上流部と下流部が、県域を越えて知恵を出し合う絶好の機会になればと念願しているところです。