平成19年6月29日 十条大路の発見と平城遷都千三百年

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 この『てくてく城下町』、平成十四年四月からホームページで連載をはじめ、さらに平成十六年からは本欄でも掲載させていただくようになりました。

 その最初のタイトルが「羅城門のこと」。

 市内観音寺町の来世橋付近にあったとされる羅城門を紹介し、その付近に「朱雀大路や平城京を一望できる展望台を設けてはどうか」と提案しています。しかし、翌十七年から始まった下三橋遺跡の発掘調査では、羅城門の東西にあった城壁(羅城)の痕跡が見つかっただけでなく、このほどは新聞等でも大きく報道されたように、まさか平城京十条大路の跡が実際に発見されるとは当時、思いもよりませんでした。

 平城京といえば、大極殿などのあったあの広大な平城宮跡が思い浮かびますが、人々が暮らした都は大きく東西南北に広がり、しかもその南限が、これまで定説とされてきた九条大路から南に移る可能性が出てきたということは、画期的なことに違いありません。

 もっとも、十条大路は遷都からわずか二十年以内に埋め戻されているようで、まだまだ謎は尽きませんが…。

 来世橋のたもとに立つと、復元中の大極殿が北に望めます。
 羅城門、十条大路、いつか本欄でとりあげた平城京最大の市場、西市、朱雀大路、そして都の建設に大きな役割を果たした佐保川と、平城京のイメージがあらためて大きく広がりつつあることを実感するとともに、せっかくの発見を遷都千三百年記念事業や今後の観光戦略に利活用するため、知恵やアイデアを出し合いたいものです。

 やまと郡山城ホールでは今、十年あまり前、市民の方からご寄贈いただいた羅城門の復元模型(二十分の一)を展示しています。
 是非一度、ご覧ください。