平成19年7月23日 常に心の準備を

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 平成十九年七月十六日午前十時十三分。犠牲者とそのご家族にとって永遠に忘れることのできない時がまた、刻まれてしまいました。

 新潟県中越沖地震。お亡くなりになった皆様のご冥福を、心からお祈り申し上げます。

 それからわずか七時間後、我が家で強い揺れを感じた時は、新潟の余震が近畿にまで及んできたのかと驚いたのですが、震源が奈良県と発表され、二度びっくりした方も多かったのではないでしょうか。

 台風四号もほとんど被害をもたらさず、東へ去っていきました。

 続く大地震も遠方のできごとで、さすがに古代の都が置かれた地域、災害の少ない地域だと、多くの方があらためて胸をなでおろしたと思われます。

 しかし、過去の記録をさかのぼってみると、今回の地震は決して他人事ではありません。

 本市の防災計画に添付されている資料によれば、幕末の安政元(一八五四)年十二月二十四日には、前日に起こった安政東海地震のわずか三十二時間後、近畿・四国を中心に再び大地震(安政南海地震)が発生。津波による被害とあわせておよそ二万人が亡くなり、東大寺の一部が破損したといいます。マグニチュードはいずれも八・四(中越沖地震は六・八)でした。

 また、戦前、戦後の混乱期、昭和十九年から同二十七年にかけては、東南海地震や三河地震、南海地震、吉野地震など、大規模な地震が繰り返し起こっているのです。

 いざという時、何をすべきか。自助、共助、公助という言葉がありますが、今回の悲劇から多くを学ぶとともに、知恵を結集して安全・安心のまちづくりを引き続き推し進めていきますので、自主防災組織づくりなどを含め、お力添えをどうぞよろしくお願い申し上げます。