平成19年10月22日 瓦づくりコンビナート""

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 かなり急な斜面をトンネル状に掘りぬいてつくられた三基の大きな登り窯と、窯への浸水を防ぐ雨よけの溝…本年八月から発掘調査が始まった「西田中瓦窯」では、奈良時代の直前まで都がおかれた藤原宮造営のための瓦が大量に生産されていたとされます。

 現地に立ってみると、窯は想像以上に大きく立派なものでした。

 近くには、同じく藤原宮向けの瓦を生産していた「内山瓦窯」や、瓦づくりの工房と考えられる建物群が発見された「西田中遺跡」があります。窯から立ち上る煙を、当時の人々はどのような思いで眺めたのでしょうか。一般の民家に瓦はまだまだ縁遠いものでした。

 瓦が大量に使われたという意味で藤原宮は画期的な都だったそうですが、あまりにも発注が多かったため、県内の数か所だけでなく遠くは瀬戸内海沿岸から和泉、あるいは近江などでも生産されたといいます。きっと良質の粘土がある付近に窯が作られたのでしょう。

 それにしても、西田中瓦窯の粘土はどこで掘った?薪はどこから?一体何人ぐらいの人が集まった?宿舎は?食事は?瓦の値段は?職人の賃金は?藤原宮までどのようにして運んだ?舟?舟はどこで作った?瓦が割れた時はどうした?いつごろまで生産していた?平城宮で使われた瓦とは関係ない?…興味は尽きません。

 いずれにせよ、世界でも最新の設備と技術を誇るいわば瓦づくりコンビナートを中心に、人と物資が集まって大いに賑わっていたようすを想像するとわくわくするではありませんか。発掘の現状から調査後は埋め戻さざるを得ないようですが、発掘の成果をどのように活用すればよいか、どうぞアイデアをお寄せください。