平成16年5月6日 甲府から郡山へ

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 享保9年3月、甲府の柳澤藩主吉里は突然、郡山への国替えを命じられました。家族全員が行動をともにすることはついに認められなかったため、親子や夫婦の離散など互いの不幸を嘆きつつ、同年5月7日、男女5286人と馬83頭の長蛇の列が甲府の町を出発、コースによって10泊から12泊をかけ、わが郡山に到着しました。藩士に対する道中費用すなわち出張手当(というとまさにサラリーマンです)も含めて莫大な経費は容易に想像できますが、とにかく歩くしかない長旅の苦労はどのようなものだったのでしょうか。最も困難を極めたのは、大井川のような川越であったといいます。

 以来ほぼ280年。先日、姉妹都市の甲府市から宮島雅展市長が来られました。参加いただく予定であった「子供時代行列」は降雨のため残念ながら中止となりましたが、甲府市のみなさんとの間で、柳澤氏の郡山入部をいつか再現できないだろうかといったアイデアが飛び出し、大いに盛り上がりました。当時の行程をそのまま再現することは不可能だし、危険も伴いますが、2週間もかけて歩くとなれば、まわりの風景や言葉、気候や人々の気質、習慣や食べ物などが徐々に変化していくはずで、現代人が忘れがちな歴史や文化の多様性、類似性、あるいは地域の個性などが浮かび上がってくるのではないでしょうか。2週間は無理でも、車や電車を併用しながら、ゆっくり数日かけて旅をするのもいいかも知れませんね。