平成16年10月1日 虫鳴くや・・・

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 旧制中学校の時代、信貴山方面から矢田丘陵を越え、歩いて郡山中学校へ通った学生がいたという話を聞いたことがあります。地図上で直線距離を調べてみると、何とおよそ12キロメートル!起伏があるので、一度確かめてみたいものですが、行きも帰りも途中でわらじをはきかえなければならないなど、今ではおよそ想像できない通学風景であったことでしょう。体力的にも、精神的にも強く、たくましくならざるを得なかったはずですが、交通機関が発達していない時代、そうした例は決して少なくありませんでした。とすれば「歩くこと」が「当たり前」でなくなったのは、いつごろなのでしょうか。
虫鳴くや河内通ひの小提灯 蕪村
 市内新庄町鉾立の地蔵寺前にこんな句碑が建っています。作者は江戸時代の俳人与謝蕪村で、六歌仙の一人として有名な平安初期の歌人在原業平が、在原寺(現天理市櫟本)から河内の高安(現八尾市)に住む恋人のもとへ通う姿を思い描いた句です。平端から安堵、法隆寺を経由し、竜田川を渡り、十三峠を越えて河内に至る古道は「業平道」として言い伝えられてきました。「虫鳴くや…」の句碑のそばには、河内通いのたびに自分の姿を映したという「業平姿見の井戸」がありますが、小提灯をかざして先を急ぐ業平の姿を想像するのも楽しいではありませんか。
 伝説や伝承は、できれば現地へ行き、肌で感じてみたいものです。