令和元年7月 郡山の金魚銀魚

更新日:2021年03月19日

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市長てくてく城下町
上田清

大和郡山市長

 ある知り合いから、郡山の金魚が登場する文学碑を大阪で見つけたという手紙をいただき、先日探しに行ってきました。
 近鉄大阪上本町の駅を出て上町筋を北へ。
 このあたりは至るところに寺があり、行ったり来たりしましたが、ようやく出会った「誓願寺」の門をくぐって墓地に入ると、突き当りに「仙皓西鶴」と描かれた立派な墓石が。
 これは法名ですが、お墓の主は浮世草子の作者として活躍した井原西鶴(1642~93)でした。
 西鶴は俳人としても有名で、42歳のころには、住吉神社で一昼夜をかけ23,500句をひとりで吟じることに成功し、以後は二万翁と名乗ります。
 因みに、1句あたり何と平均約4秒で、日本の文化の奥深さを垣間見るような気がします。
 さて今回の目的は西鶴のお墓ではなく、門の横にある文学碑で、そこには大阪生まれの小説家、武田鱗(りん)太郎(たろう)(1904~46)の『井原西鶴』から引用された、次のような文章が刻まれていました。

誓願寺を出ると 夏祭りを兼ねて遷宮(せんぐう)の儀式もあるといふ生玉(いくたま)の方へひとりでに足が向いてゐた 季節の到来に勢ひづいた蓮池の近くの金魚屋も 大きな水槽を十幾つも並べて郡山の金魚銀魚を浮べ好事家(かうずか)を待ってゐた
水も紅に染まって目のさめるやうな眺めであつた 武田鱗太郎「井原西鶴」より

遷宮:神社を移すこと 生玉:生玉神社 好事家:ものずきの人
確かに郡山が登場しているのですが、はてさて「銀魚」とは??
いずれにせよ、こういうご縁はこれからも大切にしたいものだと、あらためて思いました。