金魚の歴史

更新日:2021年03月19日

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何面もある金魚養殖用の金魚池の写真

 今から約2000年前、中国南部地方で野生のフナの中から赤色のものが発見され、これを原種として、変種の選別淘汰の末、今日の金魚に至っています。

 我が国には、文亀2年(1502年)、室町時代中頃、中国から渡来したというのが定説のようです。当時はもっぱら貴族、富豪のはなはだ珍奇な愛玩物として飼われ、庶民の間で流行したのは、明治年間といわれています。

 大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里侯が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。

 幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申侯のおしみない援助があったことが大きいと言われています。

 また、これら歴史的背景に加え、自然条件としては水質、水利に恵まれた農業用溜池が数多くあり、溜池に発生する浮遊生物(ミジンコ類)が金魚の稚魚の餌に適していたことなど、有利な条件が備わっていました。

 昭和40年代は経済発展と養殖技術の進歩に伴い生産量が年々増加し、国内はもとより欧米諸国や、東南アジアなど外国まで輸出されました。

4種類の金魚が水槽の中で泳いでいる写真

 近年は都市化に伴う水質汚濁等の環境悪化などで生産量は減少したものの、 養殖農家約50戸、養殖面積約60ヘクタールで、年間金魚約6,000万匹が販売されています。

 また、金魚品評会が毎年4月上旬桜花満開の頃、金魚にゆかりの深い柳澤神社で行われ、市民はもちろん、近郊の愛好家にも好評を博しています。

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