まちかどレポート510
まちかどレポート510 町家物語館2ヵ月
(まちかどレポーター 佐藤)
町家物語館2ヵ月(平成30年3月13日掲載)
初めての人は全面総格子の表構えに驚き、町家が好きで来た人は遊郭建築の風雅を残す造形美に感動されるとか。洞泉寺町の旧川本邸が耐震工事を終え1月に再スタート、当初の寒い日が続いた時期でも、多い日は1日に100人以上の人が来られたそうです。
中庭を囲む縁側の硝子障子、簡素な床の間に光のこぼれる小さな客間、幸運のハート型の猪目窓に遊郭の香りを残す松竹梅の透かし板、大正モダンのガス灯の名残り…。
「町家物語館」、2カ月経ったこの新しい観光ポイントをレポートしましょう。
「大正時代の町家がそのまま見れることにおどろきました。照明やガス灯の跡など貴重なものが見られてとても面白かったです(20代の女性)」
「遊郭跡は消えゆくものとばかり思っていましたが、こうしてきちんと公開していただけるのは大変貴重なことで感激です。文化の一つとして伝えてほしいと思います(50代男性)」
「昔からハートがたの窓があるのもわかったし、ガイドさんがくわしくせつめいしてくれて、わかりやすかったです(10代の女性)」
これは、お客さんのアンケートの一部、当初は新聞、テレビでという方が多かったそうですが、最近はSNSの写真を見て来たという若い人も増えているとか、中にはこんな出会いもアンケートに残されていました。
「金魚が有名という事で来たのですが、運よく素敵なおひなさまを沢山みることができました。こちらの川本家は、たまたま電車で乗り合わせた方が親切にも教えて下さり、来て見ましたが、とても立派な所を教えて頂けて、本当によかったです」
旧川本邸が誕生するのは百年ほど前の大正の後期、それは近鉄(当時は大軌)郡山駅が開業した頃で、この町が一番賑わっていた頃でしょう。
間口6間半(12メートル)、述べ床面積591平方メートル、木造3階建ての大きな建物は、当時の軒の低い2階家が続く町中で、ひときわ目を引いたはずです。
しかし、この建物が遊郭として働いたのは僅かに30年、その後の長い時間は私たちに古い時間の記憶を伝えるために、静かな時を刻んでいたんでしょうか。
郡山の町は江戸時代の半ばからは大和を代表する文芸の町、また交通の要衝として沢山の人が訪れるようになります。町家物語館の建つ洞泉寺町が、幕末から明治にかけて傾城町として賑わうようになったのは、もちろん郡山の町の発展と深く繋がっていたのは間違いないでしょう。
洞泉寺町は伝説の町。
源九郎稲荷は、この町で生きた女性たちの守り神、また洞泉寺の垢?(あかかき)地蔵は、奈良時代の光明皇后が難病に苦しむ人々のために造ったといわれるお地蔵さま。
洞泉寺の墓地にある「病没娼妓の碑」には一人の娼妓の名前も刻まれていない。彼女たちは遠い所からここに来て、人知れずここで亡くなったのです。
「ここではいろいろな人生があった。それを受け止めて行きたい」と、上田市長の言葉。
この建物は、彼女たちの物語を未来へ語り継ぐ語り部のような気がするのです。
更新日:2021年03月19日