まちかどレポート485

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート485 再発見ウォーク「整備された郡山城天守台から大納言塚」

(まちかどレポーター佐藤)

再発見ウォーク「整備された郡山城天守台から大納言塚」 (平成29年5月22日掲載)

本年度のボランティアガイドの再発見ウォークは、市が数年前に市民から募集して纏めた冊子、「石碑の声を聴いてみよう」の石碑の物語を巡る旅、その第1回が5月14日で、この日はお城周辺の石碑を訪ねて歩きました。

自然の豊かな道路の写真

まずは上の写真です。お分かりでしょう。近鉄の踏み切りを渡った坂の上にある石碑、実はこれ阿波野青畝の句碑で、「十五万石の城下へ 花の坂」と刻まれているんです。
青畝は高取の人で高名な俳人、郡山には何度も来たようです。ここはお城祭りの時の表参道、郡山の春の賑わいを詠んだ句と思っていたら、この句が詠まれたのは昭和17年、そして句碑が建てられたのは19年だと教えて貰いました。
十五万石というのは柳澤の殿様の時代のことで、江戸時代半ばから明治まで6代続く藩主は、いずれも文芸や芸術を好む名君だったといわれます。
句の作者は、十五万石という言葉に、郡山の最もいい時代の懐かしい風景を見ていたのでしょうか。そして戦争の時代に、安らかな平和な時代への願いを込めて、この句碑が建てられたように思うのですがどうでしょう。

建物の近くに集まる人々の写真

スタート地点の三の丸会館、この日、天候にも恵まれ100人以上の参加者がありました。

石垣を見学する人々の写真

ガイドが案内しているのは、郡山城の転用石のシンボル「さかさ地蔵」。お客さんの一人がこの石垣の下に埋もれているお地蔵さんをご覧になって、「これは人柱ですね」と仰いました。そうですね。郡山城の石垣は400年前に築城された時の姿がそのまま残されている貴重なもの、此処にこうして今もおられるお地蔵さんは、郡山城を守ってこられた人柱なんでしょうか。

木の下に集まる人々の写真
建物の入り口に集まる人々の写真
手元の紙を見る人々の写真
道の脇を歩く人々の写真

再発見は市内のご近所の方が多いんですが、普段通っている道端の石碑にも物語があるんです。
何より電車代はかからないし、タダというのがいいんですな…たぶん。

記念碑の周りに集まる人々の写真

最後のポイント、郡山カトリック教会の「浦上キリシタン配流記念碑」