まちかどレポート498

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート498 再発見ウォーク「小泉城址一帯の散策」

(まちかどレポーター佐藤)

再発見ウォーク「小泉城址一帯の散策」(平成29年11月6日掲載)

10月の再発見ウォークは小泉の里の歴史散歩で、台風一過の寒い朝、それでも百人を越える方が参加されました。

【当日のコース】JR大和小泉駅~庚申堂~小泉城址~小泉神社~小白水~九頭上池~JR大和小泉駅

JR大和小泉駅の駅前広場に集まるウォーキング参加者たちの写真
駅前モニュメント、時のシンフォニーの写真

集合場所の大和小泉の駅前広場。右の写真は、駅前にあるモニュメントで、「時のシンフォニー」といいます。しかし、これは巨大な竜のようです。大和小泉のシンボルは「水」。だから、ここに竜が居ても不思議ではないのです。竜は水が大好きだから、小泉の町から、未来という新たな場所へ旅立とうとしているのです。

安養寺を前に集まる参加者たちの写真

小泉市場の安養寺さん。戦国時代に松永弾正と戦った小泉の領主、小泉四郎左衛門を語り伝えるお寺です。

雨で水流が増え、茶色く濁っている川の写真
大雨で氾濫している富雄川の写真

小泉橋東詰めのお堂の石碑は、南無阿弥陀仏と彫られた六字名号碑で、地元では「楠地蔵」と呼ばれ、不思議なことに、富雄川の下流から流れてきたという伝説があるのです。
富雄川は2キロメートルほど下流で大和川に合流する。大和川は大雨の時は一気に水嵩が増して、付近の川に逆流する。

例えば、江戸時代か明治のころ、大雨が降って富雄川が逆流して、このあたりが洪水になったとしたら…、下流から流れてきたものの中に、この石碑を見つけた人々が、ここに一つのお堂を設え、その石碑の美しい縞模様から、「楠地蔵」と呼ぶようになったとしたら…、楠地蔵の伝説は、遠い昔の大災害の記憶なのでしょうか。
写真左は10月の台風21号後の楠地蔵付近で、右は2年前の豪雨の時、万願寺付近の富雄川です。

小泉の庚申さんを臨む参加者たちの写真

一国一宇、小泉の庚申さんは、小泉の町の人たちが守り続ける、大和の庚申信仰の総道場。

桜の木の下で、小泉城の歴史の話を聞く参加者たちの写真

桜の木の下で、小泉城の歴史の話をする。
お城にはやっぱり桜、郡山城ほどではないけど、ここも春には小さな桜の名所になるのです。

小泉神社の門を背景に、ガイドの案内を聞く参加者たちの写真

小泉神社。門は江戸時代の小泉城の門の遺構で、秋祭りのふとん太鼓の宮入りのために、少しかさ上げしてあります。

曇り空の日光を淡く反射する九頭神池の写真

九頭神池に残された洪水伝説。
「古説に大洪水があり、うぶさな神が笹舟に乗って池に入られた時、洪水が治まったので、里人はその神を池のほとりにお祀りした」
その祠が、池のほとりにある九頭神明神とか。
九頭は水の神様、水害の多いところに祀られている神様で、「富雄川は度々大洪水を起こす川だったのでしょう」と、「石碑の声を聴いてみよう」の冊子にありました。
写真は、先日の台風21号のときの九頭神池。携帯に届いた避難勧告は、この伝説が神様の世界のお伽話ではないことを伝えていたのです。

片桐小学校構内の植林地を眺める参加者たちの写真
あぜ道を歩く参加者たちの写真

片桐小学校の創立は明治24年、それはこの町が「片桐」と呼ばれるようになった時で、町の名前が消えた今も、子どもたちが通うのは片桐小学校なのです。