まちかどレポート329

更新日:2021年03月19日

ページID 2646
まちかどレポート

まちかどレポート329 郡山再発見ウォーク

(まちかどレポーター 丸山)

郡山再発見ウォーク(平成25年5月29日掲載)

『植槻八幡神社と郡山の平城京めぐり』と題した、「郡山再発見ウォーク」シリーズ第1回目が開催されました。5月22日(水曜日)8時40分から三の丸会館前にて受付、上田市長の来賓挨拶を受けて9時に出発しました。

当日の参加者は、爽やかな風の下、天候に恵まれて60名余り。コースは、近鉄郡山駅~植槻ハ幡神社~光傅寺~西市跡~羅城門跡~蘭町街区公園~近鉄郡山駅で、総距離は約7.5キロメートル。

本年度はボランティアガイドお勧めのコースが用意されています。実施月のコース案内は市広報「つながり」の4月1日号をご参照願います。参加される場合、事前申し込みは不要です。お気軽に参加されることをお勧めします。

当日の写真を少し撮ってきました。以下、紹介することといたします。

ビルの前に集合する郡山再発見ウォークの参加者たちの写真

快晴の下、集合地の三の丸会館で上田市長の挨拶に熱心に聞き入る再発見参加者。
当日の参加者は60名余りでした。

マイク付きのメガホンを座って持っている男性と、スーツを着て、マイクを手に持ち笑顔で話している写真

ユーモアを交えて、上田市長より本年度再発見スタートにあたり、挨拶とエールを頂きました。

手間に石碑と周りに木々が生え、青空が広がっている写真

市役所をバックに、三の丸会館北側に移転した郡山小学校跡地の碑。
郡山小学校卒業生には、懐かしく思い起こされます。

狭い路地を、列になって、歩いているたくさんの人達の後ろ姿の写真

3グループに分かれて、足取りも軽やかに再発見のスタートです

植槻八幡神社の門に集う再発見メンバーの人たちの写真

植槻八幡神社。祭神は誉田別命。本殿は一間社春日造で江戸時代の造営です。
鎮座の年代は明らかでなく、奈良時代創建の植槻寺と何らかの関係があったようです。
毎年1月7日に行われるおん田祭は、牛の田おこし、松葉を苗に見立てた田植えの所作という神事が行われ、その年の作物の豊作を祈願します。

金魚の人形が飾られている鳥居の、神社名が書かれた箇所の写真

植槻坐魚名神社。皆さん、この金魚神社知ってますか?

文字が書かれた石碑の後ろに少し多きめの2つの石碑の写真

光傅寺は浄土宗、知恩院末寺。本尊は阿弥陀如来立像。明暦元年(1655)の創立。
中興開山は西岸寺の超竜上人。山門入って左手に植槻寺の後身とされる観音堂があります。
墓地に柳滞信復(のぶあきら)の墓があります。(信復は郡山城主柳潭信鴻の子。生母が側室であったため、家督は保光が継ぎました)

たくさんの人が集まり、黄色服をきた人を見ている様子の写真

秋篠川西市船着場跡。秋篠川は、平城京造営時に条坊にあわせ、直線化された人工の河川で、西の堀川と呼ぱれ、難波の海から大和川・佐保川を経て、運河「西の堀川」を使って平城京や西市等への物資運搬に利用されました。

橋の上から何かを見ている再発見メンバーの写真

羅城門跡地点から平城京を望む。
羅城門は朱雀大路の南端にあり、平城京の表玄関として新羅や唐からの使節を迎えるのに重要な役割を果たしました(続日本紀等によると、714年新羅より入京、779年唐より入京、754年鑑真和上入京)。
「続日本紀」によると、門は暁の太鼓とともに開き、宵の太鼓とともに閉められたそうです。
重層入母屋造瓦葺だったとされています。

奥に家屋が見える場所でたくさんの人が集まっている写真

最終地点の蘭町街区公園。
参加された皆さん、炎天下の下、ご苦労さまでした。