まちかどレポート106

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート106 歌ケ崎廟(矢田町)に出かけましたよ。

(まちかどレポーター 丸山)

歌ケ崎廟(矢田町)に出かけましたよ。(平成22年11月10日掲載)

左に高専、右が歌ケ崎廟が見える景色の写真

左に高専、右が歌ケ崎廟 快晴の11月3日、文化の日。

外川町・発志禅院の北西の丘、奈良高専の東側にある、郡山第二次本多藩主・本多忠常(1660-1709)のご廟に出かけました。ご廟は、この丘陵の名をとって「歌ヶ崎廟」と称しています。

高さ30数メートルの小丘上に上りきると、写真で一目瞭然、壮大な墓碑が眼に入ってきます。

装飾の施された廟所の正面の写真

廟所の正面

忠常公の墓の外観の写真

忠常公の墓

碑面には、本多歴代と藩主の経歴が刻まれています。藩主忠常の没した年(1709年)に養子忠直が造立しました。

近世の大名の墓碑として立派な風格を漂わせています。その特徴は三つあります。
第一の特徴は、この墓碑の文章が、徳川幕府の儒官であった、大学頭林信篤の撰であり、長文で格調があることです。

第二の特徴は、古代中国の儒教系碑制を取り入れ、写真で分かるように、大亀(亀趺(きふ))の上に碑身を乗せ、碑身上部に角のない龍の飾りを配していることです。そして、大亀の眼には金の目玉が嵌入(かんにゅう)されていた。現在、金の目玉はないですが、写真の通り眼光鋭いですよ。

忠常公の墓の石で造られた亀のオブジェの写真

大亀の眼光はかなり鋭いですね。

第三の特徴は、石材です。和泉石と呼ぶ上質の砂岩を碑身に用い、亀趺と基壇は御影石を使っています。

このご廟には、忠常公の実姉である禄姫さんのお墓もあります。
禄姫さんが亡くなった時、忠常公は禄姫さんの墓所を城西富雄川のほとり、歌ヶ崎丘陵の一角を選び、当地の地主であった矢田組代官五師平兵衛より買い上げて当地に葬ったと伝えられています。

奥に石灯籠や他の敷地の墓石がある忠常公の実姉の禄姫さんのお墓の写真

手前が忠常公の実姉の禄姫さんのお墓です。

何時も、県道を車で走っていると、遠く木立に覆われ、単なる小丘陵としか見えないのですが、登って見れば、誰もがきっと感動すると思います。美しく立派で素晴らしいですよ。

ぜひ、皆さんも一度出かけて見てください。