まちかどレポート116

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート116 矢田寺の石造仏の謎を知っていますか?~第3の謎

(まちかどレポーター 丸山)

矢田寺の石造仏の謎知っていますか? ~第3の謎(平成22年12月1日掲載)

第3の謎 地蔵菩薩像

矢田寺の現在の本尊は地蔵菩薩立像で、縁起によれば、「当寺で地蔵悔過を修していた満慶という僧が地獄を見に行って、地獄に堕ちた衆生を救済している地蔵を見た」そうです。現世に戻った満慶はその地蔵の姿を仏師に彫刻させ、安置したのが当寺の地蔵像であるといわれているとのこと。
そういうことから境内には地蔵石仏が数多くあると伝えられています。

上がとんがった楕円形の背表紙がある赤い前掛けの地蔵の写真

見送り地蔵

大門坊手前の参道筋に「見送り地蔵」が立っています。立姿が奈良市のある北東の方向を向いているので、本尊を刻んだ「春日四明神」を見送ったという故事から「見送り地蔵」という名が付いています。
「見送り地蔵」は室町中期、永正12年(1515年)の造立であり、矢田型地蔵石仏としては最古銘なのです。高さ190センチメートルの船型光背を持ち、蓮華座に立つ像高156センチメートルの地蔵が半肉彫りされています。

赤とピンクの前掛けをした地蔵の写真

味噌なめ地蔵

本堂の下に「味噌なめ地蔵」が立っています。花崗岩製で、高さ210センチメートル、横幅1メートルの長方形の石に等身大の矢田型地蔵を半肉彫りしています。
衲衣の衣文等は刻まれておらず、作製半ばの仕上げとなっており、又、右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイル、のいわゆる「矢田型地蔵」です。作製年代は、室町中期と言われています。

矢田寺の石造仏の第3の謎というのは、地蔵菩薩の右手・左手の形なのです。

地蔵菩薩は一般的には、郡山城跡・天守台の「さかさ地蔵」のように、右手に杖、左手に如意宝珠を持った姿で表されますが、矢田寺の地蔵菩薩は、今まで述べてきたように、ほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルなのです。

灰色の岩と岩の深い溝の写真

その印は阿弥陀如来の来迎印と同じであり、地蔵・阿弥陀両方の功徳を備えておられると言われています。
右手に杖を持つことは、「地獄に堕ちた衆生を救済する」ために歩きまわる事となるのでしょうか?
通常、「矢田型地蔵」の方が作製年代が古いとも言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
ところで、なぜ、満慶上人は地獄に行く事になったのでしょうか?
恐ろしい地獄に行ったのはたった一人だったのでしょうか?、また、満慶上人の名前は何故何時から満米上人に代わったのでしょうか?、そして…
次から次へと分からないことや疑問が湧いてきます。

みなさんも仏像に出会われた時、いろんな角度から仏像や仏教について鑑賞されてはいかがですか?
きっと楽しさが倍増しますよ。