まちかどレポート124

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート124 卑弥呼は大和郡山にいた?!

卑弥呼は大和郡山にいた?!(平成22年12月21日掲載)

こんにちは。さいです。

邪馬台国は果たしてどこにあったのか!?
古代史のなぞとして長年論争が繰り広げられていますが、
その歴史の舞台が大和郡山市の矢田地区だったのではないかという説もあり、
郡山市民の私としては、そうであればいいのになーと思う願望もあり、
もしそうでなくとも、歴史の舞台に夢を馳せるバーチャル体験だけでも楽しいなと思い、参加してきました。

12月12日に矢田コミニュティ会館で開かれた『邪馬台国 大和郡山説を探る』 講演、
そして、その後ゆかりの場所を解説付きでたどるウォーキングツアー!!

矢田コミニュティ会館の玄関付近の写真
卑弥呼は大和郡山に居たと書かれた横断幕の下で話している男性の写真

大和郡山市観光ボランティアガイドの藤田久光さんによる講演は2時間ほど。
約30名の参加者の皆さんは真剣に、そして和やかな雰囲気で話を聞いておられました。

田畑の真ん中の道を歩く人たちの写真

さぁ、ウォーキングに出発!!
冬の空気は澄んですがすがしいお天気です。

今回案内してくださるのが、一の矢塚、二の矢塚、三の矢塚。
神様が磐船に乗って空から矢を放ち、降り立った地点の跡です。
神様は矢の挿した場所に居を構えようとされたそうです。

矢田コミニュティ会館から歩いて10分弱。
一の矢塚は、一般の方が所有されてる土地なんだそうです。
草木でこんもりとしています。

草木でこんもりとしている場所で探す参加者たちの写真
草の中に建てられた「一の矢塚」石柱の写真

二の矢塚は矢田坐久志玉比古神社の境内にあります。

矢田坐久志玉比古神社の大きな鳥居の前に集まる参加者たちの写真
神社の境内にある「二の矢塚」石柱の写真

この神社は室町建築で別名“矢落ち明神”と言われているそうです
磐船を司る航空祖神として、プロペラが奉納されていて、空の旅の安全を守ってくれるそうですよ。

神社の瓦の模様に矢のマークが描かれているのを撮影した写真

瓦には矢のマーク

木製のプロペラが設置されている楼門の写真

楼門に木製のプロペラ

そして、のどかな里山風景の道を歩き三の矢塚へ
ここが卑弥呼の邸宅跡だったとか。
今は石碑が立ってます。ここで、卑弥呼は暮らしていたのかなぁ。
大変静寂でのどかな風景が広がっています。
皆さんも古代のロマンを感じにお散歩されてはいかがでしょうか?

のどかな里山の道を歩いている参加者たちの写真
卑弥呼の邸宅跡にたつ「石碑」の写真