まちかどレポート26

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート026 下ツ道を歩いてきました!

(まちかどレポーター フリータ・K)

奈良時代にタイムスリップ「下ツ道を歩いてきました!」風景を写真で味わってください!(平成22年5月20日掲載)

  • 羅城門跡(観音寺町)
  • 下三橋町
  • 稗田町
  • 番条町
  • 伊豆七条町
  • 八条町

下ツ道は7世紀の半ばの官道として敷設され、藤原宮・平城京の造営や軍事などに大きな役割を果たしました。南北に通る三古道(上ツ道、中ツ道、下ツ道)のうち、最も完全な姿で(道幅などは変わっていますが)遺存し、羅城門跡(観音寺町)から、稗田・番条・伊豆七条・八条の各町を経て、天理市二階堂・田原本町・橿原市の見瀬丸山古墳まで通じています。延長約25キロメートル。道幅約23メートル。道の両側には約4メートル幅の堀川があり、舟運にも利用されたようです。
(下記地図参照・クリックすると、拡大されます)

「藤原京と平城京をつなぐ下ツ道」の地図

「沿道地域資源マップ・藤原京と平城京をつなぐ下ツ道」(奈良県地域デザイン推進課発行)より地図部分を一部掲載

【三の丸歴史愛好会 資料提供】

羅城門跡(観音寺町)

羅城門跡(門の本体は佐保川の堤防の下にあります)。
羅城門橋から、まっすぐ約4キロメートル北に、「朱雀門・大極殿」が見えました。
(まちかどレポーター・シャッターチャンスさんのレポートで掲載されています。下記リンクをご覧ください)

平城京の説明板の写真

平城京の説明板があります

下三橋町

平城京は、当初、南北十条で設計されていました。
オープンしたイオンモール(十条遺跡あたりにできました)を東に見ながら、佐保川堤防を南下。

佐保川の川沿いの向かい側にある大きな木の写真

佐保川の東側の大きな木は田植えの無事を祈願する野神
(向こうにイオンが見えます)

佐保川の下流付近の写真

佐保川を南下して

きこく地蔵が祀られたの御社の写真

きこく地蔵・郡界橋の西に祀られています(高田町)

緑色の手すりの郡界橋の歩道の写真

郡界橋(佐保川を東へ渡ると平和団地です)

稗田町

平和団地を通って稗田へ。ここで、下ツ道の奈良時代と環濠集落ができた室町時代頃が縦に結びつき、歴史の流れを感じました。

下ツ道の側溝を利用した環濠集落の写真

下ツ道の側溝を利用した環濠集落

車道と横断歩道となった「稗田遺跡」の写真

このあたりが稗田遺跡(稗田住宅がみえます)

番条町

番条町も環濠集落です。環濠集落は、下ツ道近くだけでも若槻、中条、番条、発志院、伊豆七条、八条宮堂などが挙げられます。

番条町の北口にある環濠集落の写真

風情が感じられる環濠集落(番条町の北口です)

熊野神社の灰色の鳥居の写真

熊野神社(番条町)を右手に見て

番町並みが綺麗に保存されている条町写真

町並みが綺麗に保存されている番条町を通って

元庄屋の鈴村邸を見学する参加者たちの写真

元庄屋の鈴村邸を見学(きれいな庭園がありました)

番条町のお大師さんにお辞儀をする白服の男性の写真

有名になった番条町の「お大師さん」
(毎年4月21日に行われます)

並んでいるビニールハウスを越えて見える番条町の瓦屋根の写真

番条町の瓦屋根が美しい町並を西に見ながら

竜田道といわれてた国道25号線の車道の写真

前方に見える国道25号線は、古代の「竜田道」

伊豆七条町

高瀬川を渡ると伊豆七条町です。
室町時代以後、石仏が多くつくられ村の入り口に祀られたそうです。

高瀬川を渡る橋の写真

高瀬川を渡って

遠くに見える伊豆七条の写真

伊豆七条が見えてきました

阿弥陀石仏が祀られた写真

集落の北口に阿弥陀石仏が祀られています(伊豆七条町)

八条町

西名阪自動車道をくぐり、南へ。
東は天理市南六条町、西は大和郡山市八条町。両市の境に下ツ道があります。
八条町は村全体を包む堀は残っていませんが、城・大門等の字名もあり、中世城郭の名残りを留めています。
八条堂山には、「花嫁が通るたびに襲って殺したという大蛇がいて、堂山の狐や近くの乳母らによって大蛇を退治した」という昔話が伝えられています。

「嫁取り橋」と名付けられた橋の写真

伝説のある「嫁取り橋」を渡って

西名阪道をくぐった道の写真

西名阪道を南へくぐった所。
東は天理市、西は大和郡山市、両市の境に下ツ道があります。

八条町堂山と参加者者たちの写真

八条町堂山に到着

華蔵寺の外観の写真

華蔵寺(八条町堂山)

以上、『三の丸歴史愛好会』に参加し、長田光男先生の話を聞きながら下ツ道(羅城門跡から八条町まで、約8キロメートル・2時間余りのコース)をウォーキングしました。

いつも暴走族の如く車で通り過ぎている道も、視点が変わると新鮮な空気とさわやかな風。
こんなところに道標が、遺跡が…と、千年以上も前から、生活の道・荷物を運ぶ道として、今日と同じく歩いていたであろう100年前、500年前、1,000年前の時代の人々を感じ、感慨にふけっていると「大師さんのモチうまいな!」などなど…平成を生きる人の声…。
歴史の時空を行ったり来たりの”大和の古道”ウォーキングでした。

(次回から、下ツ道付近の遺跡等をレポートします。フリータからフリ-ライターに華麗なる変身ができますように!)