大和郡山お城まつりとは

更新日:2021年03月19日

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「第60回 大和郡山お城まつり」
新型コロナウイルス感染症対策のため「時代行列」「市民パレード」は中止となりました。
その他内容を変更しての開催となります。

詳細は以下のページをご覧ください

「大和郡山お城まつり」のはじまり

満開の桜並木の下を行き交う花見客たちの写真

 昭和36年(1961年)、時の観光協会会長、広瀬元次郎氏が、城址の天守台をはじめ、そのまわりの石垣の中に多数の石仏、墓石が積込まれているのを知り、これらの石仏並びに城史有縁の諸霊を慰めることが、大和郡山市の発展につながると考え、自ら陣頭に立って市民有志より浄財をあつめ、天守台を取り巻く「数珠くり法要」を始めました。

 最初の年は5月5日子供の日に行われましたが、次の年からは明治40年(1907年)以来、桜花の開花期に毎年開催されていた金魚品評会に合わせて行う事になりました。そして今日まで古い伝統と歴史のあるいろいろな行事が、4月の上旬に集中して催されるようになりました。

大和郡山の「桜」のはじまり

開花する大和郡山城敷地内の桜の写真。奥の堀の向こうに追手向櫓が確認できる

 天正13年(1585年)大納言豊臣秀長が姫路から郡山へ入部、多武峰の談山神社を城北に遷座、その堂宇と共に、多武峰にあった桜樹も城内に移したのがその始まりと伝えられています(御殿桜と呼ばれていました)。

 享保9年(1724年)柳澤吉里が甲府より郡山に国替えとなり入城してから、桜樹の補植があって、そのとき以来毎年春の開花期には、藩士や町民達の楽しみであったといわれています。

 やがて明治となり城郭が全て取り払われましたが、旧藩士達が明治13年(1880年)本丸に藩祖柳澤吉保を祀る柳澤神社を建てて、その周辺に旧藩邸の桜樹を移植し、更に数百株を補植しました。そして毎年、かがり火をたき春宵一刻を楽しむようになりました。これが夜桜のはじまりであり、その後明治44年(1911年)には、樹齢も次第に老境に入り花の姿も衰えてきたので、当時の町長三木忠方が、町民に呼び掛け寄付金を募り、桜樹3,000本を新しく城址一円に植えるとともに、かがり火を電灯(ぼんぼり)に替え、大正10年(1921年)大軌電車(現在の近畿日本鉄道)の開通により遠く大阪方面からも見物客が訪れるようになりました。

大和郡山お城まつりの主な行事

現在、大和郡山お城まつりでは、毎年多彩な行事・イベントが行われます。
ここでは主な行事をご紹介します。

  • 下記に掲載している行事・イベント以外にも、たくさんの行事があります。詳しくは、お問い合わせください。
  • 行事名をクリックすると画像を見ることができます。(新しいウィンドウが開きます。)
  • 天候等により実施しない場合や変更の場合もありますので、詳しくは最新のお城まつりのページをご覧ください。
大和郡山お城まつりの主な行事の詳細一覧
行事名 実施場所 見どころ 備考
金魚品評会(JPEG:35.3KB) 柳澤神社前 郡山といえば金魚。さまざまな高級金魚が一堂に会し、品評されます。明治40年(1907年)から、毎年4月上旬桜花満開の頃から行われており、訪れる人たちの目を楽しませています。 金魚品種展・即売会も実施(令和3年は即売会中止)
数珠くり法要(JPEG:59.6KB) 天守台周辺 全庁162メートル・1,080個の数珠が天守台を取り巻き、天守台の石垣に眠る無縁仏の法要を行います。
この数珠は、平成16年に大和郡山市が市制50周年を迎えたのを契機に、市民からの浄財によって新調されたものです。(全長162メートル・全重量648キログラム・直径15センチメートル・1,080個)
 
時代行列・白狐渡御(JPEG:52.5KB) 市内巡行 昭和初期からの伝統を誇る『白狐渡御』。子どもたちが、白衣に狐の面をつけて、源九郎神社から白狐ばやしに合わせて市内を練り歩きます。源義経や静御前、戦国武将も登場する『子ども時代行列』もあります。 令和3年は中止
市民パレード(JPEG:46.3KB) 市内巡行 市内の中学校・高等学校等のマーチングバンド、警察音楽隊、地元各企業・団体による踊りなど多彩なパレードで、お城まつりを盛り上げます。 令和3年は中止

この記事に関するお問い合わせ先

地域振興課 観光戦略室

郵便番号:639-1198
大和郡山市北郡山町248-4
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