国内最高齢(取材記事)
令和7年7月30日(水曜日)市内在住の賀川滋子さんが国内最高齢となられました
生まれも育ちも大和郡山。産婦人科医、内科医として80歳を超えても活躍されていたという賀川さん。この度、国内最高齢となられたことを受け、取材を行いました。(取材当時114歳)
急遽決まった取材にも、にこやかに対応
令和7年7月30日(水曜日)市内在住の賀川滋子さんが国内最高齢になられたと、厚生労働省より連絡がありました。
ご家族と相談し、その日のうちにご自宅に伺って取材をすることが決定。
約束の時間にご自宅に伺うと、ちょうど賀川さんがデイサービスから戻ってこられたところ。家に戻られてすぐの取材対応となってしまったことに職員は少し不安や心配もありましたが、賀川さんは職員一人一人の目を見て、手を振って温かく出迎えてくださいました。
賀川さんの長生きの秘訣
最初の質問はずばり長生きの秘訣について。
いったいどんな特別なことをされているのかと思いながら質問したところ、賀川さんは笑顔で「なんにもない」と即答。「特別なことはなんにもしていない。みんなと一緒のことをしているだけ。」と言う賀川さん。
ご家族も「毎日、大きな変化があるわけではない。少食でも3食きちんと食べて、決まった時間に寝て、起きて、毎日を普段通りに過ごしている」と話されました。
元気の源は、昔からたくさん歩いていたこと
取材を進めていくと、働いておられた時の印象的なエピソードを話してくださいました。
昔、産婦人科医として働いていたころは夜遅くでも、休みの日でも、往診で歩き回っていたと当時のことを語る賀川さん。「下駄をはいて矢田山の方まで歩いて行っていたので足が強い。そうやって昔からたくさん歩いていたのが今の元気の源になっている。」と話される様子はどこか誇らしげに見えて、賀川さんが仕事に一生懸命に取り組み、患者さんと真摯に向き合ってこられた強い想いを感じられました。
「みんなが私を長生きさせてくれている」
仕事では妊婦さんの具合が悪かったり、難産だったり、困難なことが起こっているときに呼ばれることが多かった賀川さん。
「昔、柳町で買い物をしているときに、「半分死んでいたところをあなたに助けてもらった」と声を掛けられ、お礼を言われた」という体験は特に印象的だったそうです。
長生きの秘訣はないと言っていた賀川さんですが、「みんなを助けてきて、その人たちが喜んでくれて、私を長生きをさせてくれていると思っている。」と優しい表情でその思いを語られました。
日々の楽しみ
目がいいので、テレビを見たり、新聞を読んだりしているとのこと。
そう言うと、職員が持っていた質問を書いたメモを手に取り、順番に読み上げながら回答してくださっていました。
デイサービスでは、書道もやっていて、作品と一緒に写真を撮らせてもらった後、賀川さんは「ほかの人はあまりしていないけど、私は書いているんです」と嬉しそうに教えてくださっていました。
郡山への温かい想い
取材後に写真撮影を行った際、ご家族から「笑顔で」と声がかかると、満面の笑みを向けてくださっていました。
帰り際、「郡山のことは、看板に書いてないようなことまでみんな知っている。また聞いて。」と声をかけてくださった賀川さんの言葉からは郡山への愛情が溢れているように感じました。
長い時間の取材にも最後まで温かくご対応いただき、来た時と変わらず、職員一人ひとりに手を振り、見送ってくださいました。
更新日:2025年08月05日