まちかどレポート255

更新日:2021年03月19日

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まちかどレポート

まちかどレポート255 郡山再発見ウォークに参加してきました

(まちかどレポーター 丸山)

郡山再発見ウォークに参加してきました。(平成24年5月22日掲載)

大和郡山市広報「つながり」平成24年4月1日号・12ページの「観光ボランティアガイドの案内で、歩いて郡山を再発見しませんか。」という案内に心惹かれて、5月12日、 近鉄ファミリー公園前駅にかけつけました。

第1回の今回は、「天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)を訪ねて」と題して、ファミリー公園前駅~菰池~菅田神社~下ツ道~近鉄筒井駅(約6キロメートル)の再発見ウォーキングです。

木々が豊かなファミリー公園前駅に集まるウォーキング参加者たちの写真

ファミリー公園前駅集合。平成24年度郡山再発見ウォークの始まりです。

前日までの寒さと天候の悪さの影響で、何時もよりも参加者は少なく総数40名です。

身振り手振りで参加者たちに解説を行うグレーのスーツ姿の男性の写真

上田市長の挨拶は天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)の神話も取り混ぜて楽しいお話でした。

以下、当日の様子を写真を通じて紹介します。

歩道橋のそばで並ぶ二つの石塔の写真

「菰池」伝承地。分かりやすく面白い説明をボランティアガイドの皆さんからお聞きしました。

お堂の中に鎮座する地蔵半跏思惟像の写真

二階堂地蔵堂。特別に地蔵堂の地蔵半跏思惟像を開帳して頂きました。

森の中にたたずむ「一夜松社跡」石碑の写真

菅田神社本殿裏の湿地の森の奥には、一夜松伝説を今に伝える「一夜松社跡」の石碑がありました。
個人的には大発見でした。

嫁取り橋入り口で解説を行う黄色いダウンを着た男性と参加者たちの写真

「嫁取り橋」伝説の説明を聞きながら嫁取り橋を渡ります。

参考に「天目一箇命」と「菅田神社」と「嫁取り橋」の紹介を少し書いておきます。

  • 天目一箇神とは
    鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とも考えられます。
    神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからともされています。
  • 菅田神社とは
    「筒井順慶歴史公園」から東へ行って、佐保川の三郷橋を渡り、そのまま真っ直ぐ行って角を曲がると、「菅田神社」です。
    昔、美しい女神が天理市二階堂の「菅田池」から現れ、大和郡山市八条町の神楽田の所でしばらく休んでから、西方へ行って鎮座しました。同地が一夜にして鬱蒼とした松林になったので、その土地を「一夜松」と呼び、今「一夜松天神」「八条天神社」とも呼ばれる現在の「菅田神社」が鎮座する所を大和郡山市八条町字一夜松といいます。
    祭神は、菅田比古命。近世までは、天満天神を祀り、近在の八条村、菅田村、長安寺町の氏神でした。
  • 嫁取り橋伝説とは
    八条町の、下ツ道を横切る小さな川に架かるなんの変哲もない橋。
    この橋、花嫁が通ると大蛇に食べられてしまうという伝説が残る「嫁取り橋」です。
    若い男に恋した18才の娘・こまのは、恋する男を慕うあまり、池に映る姿を本物と間違えて落ちて死ぬ。こまのは大蛇と化して、若い女性への嫉妬心のあまりこの橋を通る花嫁行列を襲ったといいます。しかしあるとき人間に命を助けられた狐に恩返しにと退治され、以後、花嫁が襲われることはなくなった。こまのの悲恋は伝承され、地元の人は冠婚葬祭の時には現在でも橋を渡らないそうです。

今年、再発見ウォークは「古事記」1300年紀事業として、古事記に特化したウォークを実施します。
少し興味が湧くようでしたら、再発見ウォークに参加しませんか?
結構面白いですよ。