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洞泉寺にある源九郎稲荷神社は宇迦之御魂神(保食神・うけもちがみ)を祀り、保倉神社とも呼ばれる。
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【源九郎狐伝説】 天正13年(1585)9月豊臣秀長は郡山城に入った。 かれは城の南に宝誉上人という高徳の僧がいると聞き、城内に招いて法話を聞いて感服し、帰依した。上人は、ある夜源九郎と名のる白狐が白髪の老人の姿で現れ、郡山の南に御堂を建てて荼枳尼天(だきにてん)を祀れば守護神になろうと言ったことを物語ったところ、秀長は上人に御堂を建ててやった。上人は三河挙母郡霞渓山洞泉寺の寺号をここに移し、自ら源九郎荼枳尼天の像を刻み、境内の別の祠堂に安置して日夜勤行を怠らなかった。 秀長は源九郎の神通力を試そうとある日、上人に命じて源九郎を呼び寄せたところ、源九郎は裃を着用し、一族を連れて登城し、秀長の前で霊験を示した。驚嘆して秀長は洞泉寺内に神祠を建てて源九郎狐を祀らせた。 元和元年(1615)4月、大坂夏の陣の戦いで大野主馬が郡山を夜襲焼討し、火が城の内外を焼き尽くそうとした時、洞泉寺住職天誉和尚が源九郎天に祈願するとその霊験により鎮火したので民衆の信仰は一層深まった。 江戸時代にはその信仰は全国的になり、諸国からの参詣者で賑わったという。 |
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