郡山銀行

高田口の谷野竹蔵ら13人によって設立発起され、明治30年2月10日に設立認可を受け、同3月15日から堺町で開業した銀行。資本金は9万円で、頭取は山本精六であった。山辺郡針ヶ別所村(現都祁村)に小倉支店を出したが業績ははかばかしくなかった。頭取の交代後、北生駒・春日・井戸堂にも各支店を設けたが業績は伸びなかった。そこで、資本金を半減し、不良貸し出しを整理し、小倉支店の廃止、滞貸金の回収など経営の刷新を図り、明治44年1月25日に頭取が山本精六から木本孫次郎に替わるのを機に産業銀行と行名を改めた。豪農山本精六は郡山銀行の頭取のほか、桜井銀行の頭取、奈良銀行・奈良商業銀行の取締役を兼ねる銀行家だったが、明治33年1月没。
以後、支店の設置や小銀行を合併するなど営業規模も拡大してきたので大正15年に本店を奈良市に移した。資本金も20万円から305万円となり、利益も大きく増加していたが、昭和2年の金融恐慌のあおりを受け、同年12月26日六十八銀行に買収されて解散した。