国鉄郡山駅

明治22年5月14日大坂鉄道株式会社が湊町・柏原間に鉄道を敷設し、同23年6月3日王寺・奈良間が竣工した。郡山駅は6月10日より運輸業務を開始した。25年2月2日には柏原・王寺間が開通し、奈良・湊町間が完通した。さらに33年5月31日奈良・加茂間を走っていた関西鉄道株式会社を合併した。40年10月1日、鉄道国有法により国鉄関西線となった。その後、運送物等が福島県の郡山と間違って配送されたりして、混乱したので鉄道院では大和郡山駅と改名しようとした。しかし、地元の人々は承知せず、福島県の郡山より、大和の郡山の方が古いと、東大寺に伝わる古文書を持ち出して柳沢伯爵を通じて鉄道院総裁に陳情した結果、現在の郡山駅に落ち着いた。したがって、国有鉄道に2つの郡山駅があるわけで、乗車券などの駅名には郡山の左肩に(関)、又は(東北)と書き添える習わしとなった。なお大和小泉駅は大正9年8月25日設置され、大正14年ようやく奈良・大和小泉間の複線化工事が完成した。