柳澤保泰
郡山4代藩主、甲斐守(1782〜1838)。天明2年(1782)12月江戸幸橋の上屋敷で生まれる。始め信近、光雄のち保泰と改める。文化8年(1811)8月父保光引退後、家督を継ぐ。
保泰は文学武芸の振興に努め、天保6年(1835)五左衛門坂の藩校・総稽古所を大職冠に移転し、同時に規則を改め、就学課目を充実した。また、家禄の低い家の子弟でも優秀な者は抜擢して教師の助手を努めさた。天保9年没。東京月桂寺に葬られる。