郡山2代藩主、美濃守(1724〜1792)。享保9年(1724)10月郡山城内で生まれる。初め義稠(よしあつ)、伊信(これのぶ)のちに信鴻(のぶとき)と改めた。延宝2年(1745)10月父吉里の遺領を継ぐ。28年間に及ぶ政治は良く行われ、名君と称えられた。
博学多識で文学、芸術を愛し、中でも演劇、俳諧を好み、儒学、漢詩は谷口元淡、荻生金谷に学んだ。安永2年(1773)家督を保光に譲った後、駒込六義園に移り、月村・米翁などと号し約20年近く風流三昧の生活を楽しんだ。
死の直前まで書き続けた『宴遊日記』と『松鶴日記』は当時の俳諧史・演劇史・風俗史などの研究には必読の書といわれ、広い交遊範囲がうかがえ、特に天候については詳細な記録を残している。寛政4年3月没。東京月桂寺に葬られている。
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