本多忠烈
名は喜十郎(1710〜1723)。正徳7年(1716)郡山城中で生まれる。本多忠村の弟。忠村に後嗣が無く、享保7年(1722)9月郡山城主忠村が死んだので7歳の忠烈が兄の遺領の内5万石を賜って郡山城主となった。この時領地変更が問題にされたが、8代将軍徳川吉宗の配慮でそのままとなった。
翌8年11月没。江戸湯島の麟祥院に葬られる。第二次本多家はここに断絶。