本多忠村
名は唐之助(1709頃〜1722)。享保2年(1717)6月、父本多忠直の遺領11万石を継ぎ郡山城主となる。忠村が幼少のため、幕府は京都守護の要地である郡山から他国に移すことを議論していたが、8代将軍徳川吉宗の特別の計らいでそのままになったといわれている。同7年9月没。江戸湯島の麟祥院に葬られる。