本多忠常
本多忠平の弟、能登守(1660〜1709)。元禄8年(1695)兄の遺領を継いで12万石の郡山城主となる。
元禄12年の郡山大火、江戸屋敷の焼失、宝永5年(1708)京都御所炎上の手伝いなどにより藩の財政は非常に苦しく、家臣の封禄を半減しなければならないほどであった。
宝永6年4月没。外川町発心院に葬られる。嗣子忠直の建立した墓「歌ヶ崎御廟」は市指定文化財となっている。