本多政勝に仕えた知行250石の武士で、著名な俳人(生没年不詳)。通称を十郎右衛門。初め松永貞徳門の安原貞室につき、後貞徳の直弟子になった。俳諧と狂歌をよくした。政勝に仕えた時期はよく分かっていないが寛永7年(1630)頃といわれる。
郡山俳諧の起こりは本多政勝時代の武士たちによるといっても過言せはない。正保3年(1646)正式は句集『古保里山』を刊行したが、これは正式の句を巻頭に入集するという約束を破った撰者松江重頼に対して批判するのが目的であった。当時の貞門内部の対立が深刻に影響して正式も立場上苦慮したようだ。
編著には他に『狂歌百首歌合』がある。
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