片桐貞昌

茶人として有名な石州流の元祖で小泉藩2代藩主、石見守(1604〜1673)。
貞隆を父として摂津で生まれる。寛永元年(1624)20歳の時石見守。以後小泉藩主は主膳正・石見守と交互に任ぜられた。
同4年父の死により23歳で家督を継ぎ、この年11月弟貞晴に3000石を分知する。(貞晴の屋敷は豊浦村に造られ、分家として永く続いた)。
貞昌は知恩院再建の普請奉行、関東の郡奉行など幕府の重要な役職につき、また水害地の視察にしばしば出張するなど土木建築に功績が多く、そのため東奔西走の歳月を送っている。
茶人としての石州は、最初利休の長男道安の流れを汲む桑山宗仙に学んだといわれている。
30歳の頃からは郡山城主松平忠明や小堀遠州らともよく茶席を共にしている他、奈良の茶人とも交遊を深め、茶の宗匠としてしだいにその名が広がっていった。特に4代将軍家綱のために『茶道軌範』を作り、石州流を不動のものとした。宗関の号は有名。
寛文3年(1663)父の菩提のために慈光院を創立、延宝元年11月没。